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5月10日 天使の死体をコラージュにする


 たとえば「永遠」というのがきみの脳みその中で想定されたまぼろしにすぎないように、「ガキの頃見下していたような大人たち」が懐かしんでいる学生時代というのもまた幻想にすぎないし、そもそも私たちの人生は(意識は、感傷は、記憶は)、すべて八月の校舎の保健室のベッドに横たわっている鳩羽つぐが見た12秒間の夢を、限りなく引き伸ばし続けたものにすぎないことを、きみは知っている。


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 最近、学生時代のことを考えて感傷になることが多くて嫌になる、それは何だか、今まで馬鹿馬鹿しいくらいに反復されてきた「構造」に回収される感傷のような気がしてしまう。正確に言えば、自分は今でも学生だし、(これから何がどうなるのか自分でも全く分からないにせよ)、おそらくはもうしばらくは学生をやるはずだけど、そういうことではなくて、中学生とか高校生とか、そういうまぼろしみたいな学生時代のこと。


 でも、思い返してみると、自分の学生時代に懐かしむべき記憶なんていうものは何もなくて、ただほんとうに感傷もストーリーもないようなどうでもいいこと、もしくはただ最悪だったり苦痛だったりした記憶しかないことに気が付く。常にそこにはただその時の自分にとっての現実があっただけで、感傷すべきものなんてほんとうは何も持ち合わせていないのに、どうしてまぼろしばかりが見えるんだろう。


「大きくなったら何になりたいの? 将来なりたいものは?」

「――灰色」

「――夜の真っ暗な山に浮かぶ鉄塔の赤い光」

「――見世物小屋で発狂した聖母マリアの肋骨」


「永遠なものって、ある?」

「――天国、かみさま、円周率」


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 自分が感傷しているものは、「リリイ・シュシュのすべて」で描かれていたような、どこへも行くことのできない(どこへも逃げることのできない)、学生時代の「痛み」の、そのリアリティだったり、「神聖かまってちゃん」(高校生の時にずっと聴いていたからいつまでも忘れない)の「聖マリ」を聴いているときに視界を通り過ぎて行って、そのまま校庭へと落下していった天使のこととか、「おやすみプンプン」の田中愛子みたいに、死に向かってもいいくらい真っ直ぐに永遠を求め続けること、銀杏BOYZの「あの娘に1ミリでもちょっかいかけたら殺す」で歌われる「色白で無口で どこか淋しそうな女の子」のイメージみたいに儚くて(その表象自体が)暴力的なもの、そして今はもういなくなってしまった、インターネットの知らないフォロワーの断片的な学生生活とか、そういう到達不可能なもの、あるいはあの頃の自分が「リアリティ」としてだけ感じていたようなものにすぎないんだと思う。

 それは、どこにもないもの。というか、人はどこにもないものしか感傷できないんじゃないかとさえ思う。


「たった一人でいいから、頭のてっぺんからつま先まで1ミリの間違いも無いくらい 完全にわかり合いたい。その人と二人きりになれるなら、他には何もいらない/『おやすみプンプン』4巻、田中愛子」


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 あ、醒めちゃったんだ、夢を見ることから、醒めちゃったんだ、と心の中で呟きながら起きて、その一瞬だけ空白になることに気が付く。起きた瞬間、「私」が「私」ではなくて、どんな「私」でもない、誰でもない「私」になるその空白。


 目覚めるたびに何かを喪失している気がする。夢の中にだけあったほんとうの感情を、失うことで起きて顔を洗って、授業を受けるとか労働をするとか、そういうことをしないといけないんだと言い聞かせる(夢の中の方が、現実世界よりも感情が鮮明なのはどうして?)


 いつから時間感覚はおかしくなってしまって、ぜんぶが瞬間みたいで、すべてが過去みたいで、何もかもが永遠みたいな。嘘、どこか遠くにある映画のスクリーンを見ているような、あるいは寸断されてぐちゃぐちゃに並び替えられた映画のカットのある瞬間を生きているような、そういう曖昧な感覚。 

  

 自分が「永遠」という言葉に執着しているのはどうしてだろう。それは祈りだから? それとも、それが想像するだけでも耐えられないような恐怖だから? 永遠は怖い、死んだあとの永遠はもちろん怖いけど、生きていること、こうやって何かがすり減っていくような日常が永遠に続いていくことを考えるとそれは怖いし、そもそも小学校のときの6年間って、永遠みたいに感じられたはずなのに、どうしてすでに過ぎ去ったものとしてあるんだろう。


「可能性、すべての恋は恋の死へ一直線に堕ちていくこと/穂村弘『手紙魔まみ、夏の引っ越し』」


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 なんとなく僕たちは大人になるんだ、なんとなく僕たちは大人になるんだ(なんとなくいやな感じだ)、と銀杏BOYZの『DOOR』のアルバムの一番最後の曲名を繰り返し呟く。日常から非日常へ、非日常から日常へ帰って大人へと近づく、なんて通過儀礼の物語を信じることはもう、できそうにもない。

 ただいつまでも天使の死体をコラージュし続けること、校庭に堕ちたあの天使の死体を。



 聖 マリア 記念 病院 受胎 して 天 使は 堕ちる 光 の先へ




 二枚貝